京町温泉・吉田温泉の歴史
京町温泉



京町温泉は、宮崎県内で最も多くの泉源を有する温泉地です。えびの市の中央部を流れる川内川沿いに位置し、豊かな自然に囲まれた温泉街として親しまれています。温泉施設ごとに泉質が異なるため、それぞれの湯の個性を楽しめるのも京町温泉の魅力です。
湯めぐりをしながら、多彩な泉質と心安らぐ温泉情緒を満喫ください。
京町温泉の歴史
京町温泉はその昔、「雷温泉」とも呼ばれていました。大正時代、当時の黒松旅館の経営者が梅雨の時期に温泉の掘削を行ったところ、わずかに温泉が湧き出しました。その喜びから孟宗竹に国旗を掲げたところ、竹の先端に雷が落ちて竹が飛び散り、その翌日から高温の温泉が勢いよく湧き出すようになったと伝えられています。この言い伝えは、京町温泉の歴史を彩る興味深いエピソードとして、現在も語り継がれています。
種田山頭火と京町温泉

自由律俳人山頭火は、行乞記「あの山を越えて」によると、昭和5年9月17日、人吉から肥薩線にて吉松駅に着き、さらに行乞しながら京町温泉までたどりついて1泊しています。「ここには熱い温泉がある。ゆっくり浸かってから、焼酎造元の店頭に腰かけて一杯を味わう。」と記しています。そして、次の句を詠んでいます。
「ありがたや 熱い湯のあふるるにまかせ」(写真の句碑)
「山の水は あふれてあふれて」
「投げ出した足へ とんぼ とまらうとする」
「はてもない旅の 汗くさいこと」
「このいただきにきて 萩の花ざかり」(老人福祉センターに句碑)
野口雨情と京町温泉
民謡や童謡の第一人者として、明治大正から昭和のはじめにかけて北原白秋、西条八十とともに三大童謡詩人とうたわれ、一世を風靡(ふうび)した詩人野口雨情は、50歳代半ばの昭和10年と12年にえびの市を訪れました。そして数篇の歌謡を残しました。
「真幸京町 別れが辛い 霧が姿をまた隠す」
「湯なら京町 米なら名どこ 日向真幸が忘らりよか」
「名残惜しさに見返りや今朝も 真幸京町霧が降る」
「わたしや京町温泉そだち 色も香もあり艶もある」
「真幸京町温泉帰り 肌に湯の香がほんのりと」
出典 定本野口雨情第5巻地方民謡(未来社)
吉田温泉


吉田温泉の歴史
吉田温泉は、宮崎県最古の歴史を誇る温泉です。その始まりは、天文23年(1554年)の霧島山の噴火に伴う地震により、昌明寺地区の岩間から温泉が湧き出したことに由来すると伝えられています。
ある日、近くの住民がこの温泉で傷を癒す鹿を見かけたことから、人々も傷や病を癒す湯として利用するようになり、「鹿の湯」と呼ばれるようになりました。当時の領主・島津義弘公は「鹿の湯」が万病に効く名湯と聞き、湯治施設を整備するとともに、自らも愛用したと伝えられています。また、木崎原の戦いでは負傷した兵の療養にも利用されました。天正5年(1577年)には湯屋を改築し、湯権現社を建立するとともに、温泉の管理規則も定め、湯守役を配置するなど、温泉の保護と発展に尽力しました。湯権現社は現在も「鹿の湯」の近くに残っています。薩摩藩時代、この温泉は「吉田ん湯」と呼ばれていましたが、廃藩置県後に藩営から民営へ移行した際、「吉田温泉」と改称しました。長い歴史と豊かな自然に育まれた吉田温泉は今もなお、多くの人々に親しまれています。
湯権現社



更新日:2026年08月12日